原子爆弾とは〜注41

公開: 2019年8月26日

更新: 2019年8月xx日

注41. リットン調査団と報告書

1931年中華民国は、「満州事変や満州国の建設が日本政府・日本軍の計画によって不当に行われた」との主張から、国際連盟に満州国独立が無効であると提訴しました。これに対して、日本側は、満州事変は満州に居た日本人の生命と財産を守るために必要な防衛であり、満州国の独立も正当なものであると主張したため、第三国の代表者で調査団を結成し、現地調査を行うこととしました。その団長がイギリス人のリットン伯爵だったため、その調査団をリットン調査団と呼んでいます。

調査団の団員は、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、アメリカ合衆国の代表委員と、日本、中華民国からのオブザーバーでした。調査団の経費は、日本と中華民国が負担しました。調査団は、日本陸軍の高官、中華民国の蒋介石や張学良、満州国の溥儀らとも会談し、1932年6月まで視察・調査を行いました。報告書の作成は、1932年8月から9月末まで行われました。報告書が発表されたのは、10月2日でした。

報告書では、満州地域の発展は、それまでの日本の努力によるものであったことが述べられています。日中間の満州に関する諸問題については、日本の権利、満州の特殊性、それまでに発生した事件等について述べています。満州事変については、日本側が周到な防衛計画を策定していたことや、中華民国側に武力衝突の準備がなかったこと、日本側の軍事行動は正当な防衛行動とは言えないことなどが述べられています。満州国については、日本の独立計画に基づいたものであったとして、自発的独立を否定しました。

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